シークレット・サンシャイン |
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2008/06/18(Wed)
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![]() 2007年 韓国 イ・チャンドン 監督 夫を交通事故で亡くしたばかりのシネ(チョン・ドヨン)は、夫の故郷で再出発するため、息子とソウルから密陽(ミリャン)に引っ越して来る。車が途中で故障してしまい助けを呼ぶと、自動車修理工場を営むジョンチャン(ソン・ガンホ)がやってきた。それ以降、何かと気にかけてくれるジョンチャンの尽力もあって、シネは無事にピアノ教室を開くことができた。隣人たちとなかなか馴染めないことに不安を抱きながらも、なんとか順調に新生活を送っていたが、ある日…。 詳しくは → 公式サイト どんな映画でも、観る人の立場によって感じ方はそれぞれだろう。 だからこの映画も私と世代や性別や生き方が違う人が観たら違う感想になると思う。 カンヌ映画祭で絶賛されたように、素晴らしいと思う人もいるはずだ。 だけど、オンナで母である私の立場で観るこの映画は苦痛そのものだった。 主人公のシネは普通の主婦だ、なんの落ち度もない。 夫を亡くし、息子と二人 一生懸命生きていこうとしている。 唯一気にかけてくれるのは弟だけ、家族とも疎遠のようだ。 虐待されていたような影もつきまとう。 そんな彼女にとって 生きるすべだった 息子 でも、ある事件で息子まで取り上げられた時 彼女には存在の意味すら残っていない。。。 「癒し」と「赦し」それがこの映画のテーマになっているが シネは何を赦し、何に癒されるんだろう・・・ 宗教で、人が癒されるか。 神は罪を赦すのか。 始終つきまとう一見 親切そうな男 ジョンチャンは下心みえみえの俗物で彼女を癒せるわけはない。 結局精神を病んでしまう彼女 ずいぶん時間が経過したであろう退院後も傷は癒されていない。 素晴らしい青空のシーンで始まるこの映画 退院後自宅の庭で髪を切るシネと鏡を持っているジョンチャンというラストシーンは 洗濯板が転がる庭の片隅で終わっている。 そのラストシーンは何を意味するのか 人生そんなものだと言いたいのか 映画の題名のように密陽(シークレットサンシャイン)が密やかな日差し=幸せを暗示しているのならいいのだけど、そこに救いがあるようには思えない。 こういう映画を観ると、映画ってなんのために観るんだろうと考えてしまう。 フィクションだから・・・と割り切るべきなんだろうけど これほどサディスティックに痛めつけられる彼女を見せられるとなんとも後味が悪くやりきれない。 監督はどういう感想を期待してこの映画を作ったんだろう。。。 あるいは私の過剰反応がチョン・ドヨンとソン・ガンホの卓越した演技力のせいだというならば 二人には拍手を送りたい。 |
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orangeさん